どうしたら増大する専門職賠償責任請求に組織は対応できるか(2026年9-10月号)
ネルソン・キーフォーバー(訳:鈴木英夫)[*]

複雑化する賠償請求
経営および専門職賠償責任リスクは、もはや単一部門や一つのインシデントの種類に収まるものではない。雇用に関する意思決定、リーダーシップの行動、データ管理慣行に関連する賠償請求は、ますます複雑化し、より速く拡大し、コストが増大し、請求プロセスの早い段階で世間の注目を集めるようになっている。
訴訟が公になると、その影響は法務部門や人事部門にとどまらず、業務の混乱、財務上の圧力、経営陣への負担など、広範囲に及ぶことが少なくない。しかし、組織は早期に規律ある対応を取ることで、専門職賠償責任訴訟の影響を抑制し、回復力を維持することができるのだ。
変化するリスク環境
従来、企業は雇用慣行賠償責任(EPL)*1)や役員賠償責任(D&O)*2)といった経営責任リスクと専門職賠償責任リスクを別々に評価していた。しかし、今日の訴訟環境は相互に密接に関連しているため、この区別はもはや適切ではなくなった。
*1)訳者注:雇用慣行賠償責任(employment practices liability: EPL)とは、会社や他の組織が従業員や求職者との雇用関係をめぐって起こる不当解雇やハラスメントといった訴訟・損害賠償請求にさらされる法的責任のこと。日本でも、このリスクを担保する保険商品が損害保険会社から提供されている。
*2)訳者注:役員賠償責任(directors and officers liability: D&O)とは、会社の役員(取締役・監査役・執行役など)が、その業務執行上の行為に起因して株主・会社・取引先・従業員などの第三者から損害賠償請求を受けた際に負う法律上の賠償責任リスクのこと。日本でも「役員等賠償責任保険(D&O保険)」として主要な保険会社から提供されている。
差別・不当解雇・報復、またはガバナンス上の決定に関する訴訟は、現在、世間の監視、規制当局の審査、および情報開示義務と、より頻繁に交錯してくる。申し立てが表面化すると、従業員の士気、投資家の信頼、組織の信用に急速に影響を与えることになる。いくつかの要因は、訴訟の発生方法だけでなく、そのエスカレートの速さやコストにも影響を与える。例えを挙げれば:
雇用関連の訴訟は進化を続けている。ハラスメントや解雇に関する申し立ては依然として一般的だが、保険会社は障害者差別、人員削減、そしてえこひいきや方針の不整合な適用に関連する紛争に関する訴訟が増加していることを承知している。これらの訴訟は、組織がストレスにさらされている時期に発生することが多く、リーダーは迅速な意思決定を迫られ、文書化が遅れる傾向がある。
リーダーシップとガバナンスに関する意思決定は、より厳しく精査されるようになっている。取締役会の監督、受託者責任、または経営判断に関連する訴訟は、特に規制の厳しい環境、公共の場、または注目度の高い環境で事業を展開する企業にとって、法廷外のリスクを高めている。
プライバシーに関するリスクは、サイバーインシデントにとどまらない。組織は、情報漏洩が発生していなくても、従業員・顧客、または利害関係者のデータの収集・保管・使用、または共有方法に関連する責任が増大している。不適切な管理、一貫性のない同意慣行、または情報の不正使用は、専門家責任*)の申し立てにつながる可能性がある。
*)訳者注:専門家責任(professional liability)とは、医師、弁護士、公認会計士、税理士、建築士、ITコンサルタントなど、高度な専門知識や技能を必要とする職種(プロフェッショナル)が、その業務上の誤り(過失・ミス・不作為など)によって顧客や第三者に損害を与えた場合に負う法律上の賠償責任のこと。一般の企業が追う賠償責任は、主に「怪我をさせた(身体障害)」や「物を壊した(財物損壊)」といった物理的な損害が対象であるに対し、専門家責任の多くは「物理的な破壊を伴わない純粋な経済的損害(純粋経済損害)」を対象とする。各種専門家向けの保険商品も存在する。
管轄権とタイミングはリスクを増幅させる。カリフォルニア州やオレゴン州など一部の州は、より広範な証拠開示を認め、弁護費用を高く設定し、雇用関連の訴訟手続きを進める可能性が高いため、原告に有利な州とみなされている。合併・組織再編・経営陣交代などに起因する訴訟は、意思決定期間の短縮や外部からの注目度の高まりにより、より複雑化し、費用がかさむ傾向にある。
最近の訴訟事例から得られた教訓
雇用問題やガバナンス問題として始まったものが、しばしば複数の保険契約、高額な弁護費用、評判リスク、そして組織全体への影響へと拡大していく。最近の訴訟事例は、ビジネスリーダーが直面するいくつかの共通の課題を浮き彫りにしている。
例えば、弁護費用は急速に膨れ上がる。たとえ根拠のない訴訟であっても、組織が早期に証拠開示や内部調査を開始し、より多くのリソースを必要とするため、費用がかさむことになる。OpenAIの経営陣交代をめぐる最近のガバナンス紛争*)は、経営陣の交代がいかに集中的な調査やガバナンスの見直しを引き起こし、訴訟に至る前から多大なコストを発生させるかを示している。
*)訳者注:「OpenAIの経営陣交代をめぐるガバナンス紛争」とは、2023年11月に発生したサム・アルトマンCEOの電撃解任とわずか5日での復帰劇を中心とする一連の経営陣・取締役会の対立騒動を指す。
評判リスクとガバナンスリスクは、ますます密接に絡み合ってきた。機密保持プロセスや仲裁は、かつてほど企業を効果的に守る手段ではなくなった。経営幹部の行動、利益相反、取締役会レベルの意思決定に関する疑惑は、株主訴訟や関連情報開示を通じて、あっという間に公になる。アクティビジョン・ブリザードのマイクロソフトへの売却をめぐる株主訴訟*)は、まさにその好例である。この訴訟は、取引の監督、情報開示慣行、受託者責任に関する問題に世間の注目を集め、ガバナンスをめぐる紛争が、法的リスクだけでなく評判リスクも生み出すことを示している。
*)訳者注:「アクティビジョン・ブリザード(Activision Blizzard)のマイクロソフトへの売却をめぐる株主訴訟」とは、2022年に合意されたマイクロソフトによるアクティビジョン・ブリザードの巨大買収(約687億ドル:約10兆円)に際し、アクティビジョンの株主が経営陣および取締役会を相手取って起こした一連の集団訴訟・代表訴訟を指す。
さらに、訴訟は重要な局面で表面化することがある。専門家責任訴訟は、合併・資金調達・組織再編・経営陣交代などの際に頻繁に発生する。テスラの役員報酬をめぐる株主訴訟*)は、ガバナンスに関する疑惑が、重要な局面で戦略的な取り組みをいかに複雑化させるかを示している。イーロン・マスク氏の報酬パッケージに対する異議申し立ては、数年にわたる訴訟、取締役会の意思決定に対する監視の強化、役員報酬と株主承認プロセスに関する不確実性を引き起こし、訴訟が重要な時期に組織の優先事項をいかに混乱させるかを浮き彫りにした。
*)訳者注:「テスラの役員報酬をめぐる株主訴訟」とは、EV大手テスラの株主(リチャード・トルネッタ氏ら)が、同社CEOイーロン・マスク氏に与えられた史上最大規模の巨額報酬プラン(2018年割り当て分:当時の評価額で約560億ドル、のちの株価上昇により1,000億ドル=約15兆円)の無効化を求めて起こした集団・代表訴訟。
こうした現実を踏まえると、専門職業賠償責任は企業レベルのリスクとして捉え、継続的な監視が必要であることが浮き彫りになる。
訴訟提起前にリスク軽減戦略を策定せよ
保険は依然として重要なリスク移転手段だが、保険だけでは専門職業賠償責任リスクを軽減することはできない。このリスクを効果的に管理する企業は、紛争が発生するずっと前から、準備・連携、そして防御体制の構築に注力している。基本的な戦略には、以下の項目が含まれるべきだ:
・変化するリスクを念頭に置いて、保険内容を見直せ。専門職業賠償責任保険プログラムは、前年度の想定ではなく、現在の事業運営を反映したものでなければならない。保険内容の見直しでは、保険限度額、自己負担額、および特約が、従来の保険契約構造に課題を突きつける今日の雇用慣行、ガバナンス上の決定、およびプライバシー関連のリスクと整合しているかどうかを評価する必要がある。
・文書化と意思決定プロセスを強化せよ。訴訟の結果は、組織が「リーダーが重要な決定をどのように、そして、なぜ行ったのか」を説明できるかどうかに左右される。弁護の正当性を高めるために、取締役会議事録、意思決定フレームワーク、エスカレーション手順など、明確な文書を収集して置く。
・リスク管理、法務、人事の各機能を連携させよ。専門職業賠償責任に関する紛争は、多くの場合、個別の部門に留まらない。リスク管理、法務、人事、および経営陣が連携することで、一貫したメッセージ発信、タイムリーな報告、そして問題発生時のより規律ある対応が可能になる。
・遅延による財務的影響を認識せよ。内部レビュー、調停、または戦略的対応による早期の関与は、弁護費用を抑え、紛争が組織全体の危機に発展する可能性を低減する。早期の対応は、譲歩ではなく、積極的なリスク管理として捉えよう。
これらの取り組みを総合的に行うことで、専門職賠償責任管理を事後対応型から、より規律ある企業全体にわたるアプローチへと転換させるのに役立つのだ。
リスク管理とビジネスリーダーの役割拡大
専門職賠償責任リスクが相互に関連し、より可視化されるにつれ、保険購入担当者の役割は拡大している。リスクマネージャーは、日々の業務上の意思決定がどのように賠償責任につながり、その賠償責任が財務結果にどのような影響を与えるかを予測する上で、ますます中心的な役割を担うようになっている。これらの重要な問いに積極的に取り組む企業は、紛争をより効果的にコントロールできる体制を整えることができる:
- 現在の賠償請求の深刻度を考慮すると、保険限度額は十分か?
- 適用除外事項や限度額の制限によって、予期せぬリスクが生じる可能性はあるか?
- 雇用、ガバナンス、プライバシーに関するリスクは、企業リスクに関する議論にどの程度適切に組み込まれているか?
- 最近の意思決定は、規制当局、裁判所、あるいは一般市民による審査に耐えうるのか?
これらの問いに積極的に取り組む企業は、紛争をより効果的にコントロールできる体制を整えることができるのだ。
専門職賠償責任リスクは、職場環境、規制、社会情勢の変化を反映し続ける。雇用慣行、ガバナンスへの期待、データに関する責任は今後も簡素化されることはなく、保険金請求は引き続き組織の備えを試す試金石となる。
レジリエンス(回復力)は、専門職賠償責任が静的なものではないという認識から始まる。リーダーは、日々の意思決定・文書化・監視を通じて、専門職賠償責任を形作っている。保険契約者は、補償戦略、ガバナンス規律、対応計画を整合させることで、チームと組織の長期的な安定性をより効果的に保護できるのだ。
トピック
クレーム管理、エンタープライズリスク管理、レピュテーションリスク、リスク管理
注意事項:この記事は、” How Organizations Can Manage the Rising Cost of Professional Liability Claims,” Nelson Kefauver | August 26, 2026, RIMS Risk Management Site (https://www.rmmagazine.com/articles/article/2026/08/26/how-organizations-can-manage-the-rising-cost-of-professional-liability-claims) をRIMS日本支部が翻訳したものであり、原文と訳文に差異がある場合には原文を優先します。
ネルソン・キーフォーバーは、インテクト・インシュアランス・スペシャリティ・ソリューションズ社の北米地域における金融・専門職賠償責任保険部門の責任者。
鈴木英夫はRIMS日本支部主席研究員。