ウクライナ戦争が海運とサプライチェーンを緊迫させる(2022年7-8月号)

ウクライナ戦争が海運とサプライチェーンを緊迫させる

ラハル・カナ船長 [*]


7-8月号 表紙

ロシアのウクライナに対する戦争は、悲劇的な人的被害に加えて、世界の海運事業にも大きな混乱をもたらし、新型コロナのパンデミックが引き起こしたサプライチェーンの混乱、港湾の渋滞、船員の危機などを悪化させている。海運業界は、黒海における人命や船舶の喪失、ロシアやウクライナとの貿易の混乱、制裁の負担の増大など、さまざまな面で影響を受けている。また、船員への連鎖的影響、船舶に使用される燃料油のコスト高と入手可能性、サイバーリスクの脅威の増大などを伴い、日常業務に関わる課題に直面している。

これまでのところ、海運事業にとって戦争の最大で直接的な影響は、黒海で運航している船舶やロシアとの貿易である。ウクライナの主要な港は、紛争とロシア海軍による封鎖によって閉鎖された。何百隻もの船舶が港や停泊地に閉じ込められただけでなく、数千人のロシア人やウクライナ人の乗組員が不確実な将来に直面し、船舶を離れたり帰国することができなかったりした。

さらに、この紛争は紛争地域から遠く離れた海運事業にも影響を及ぼしている。特に、米国とEUの制裁は、海運会社と保険会社にとって重大なコンプライアンス上の課題となっている。多くの欧米企業は、ロシアとの貿易を自発的に中止することを選択しており、保険業の契約に複雑で不確実な法的状況を作り出している。また長期化する紛争は、より深刻な経済的・政治的影響をもたらし、エネルギーや他の商品の世界的な貿易を構築し直させる潜在的可能性をもつ。ロシア産石油への禁止の拡大は、燃料のコストと入手可能性を押し上げ、船舶所有者に代替燃料の利用を促す可能性がある。

海事補償の問題

7月上旬時点では、ウクライナ戦争による海上保険の損失は限定的であったが、紛争の継続の影響を受けた船体・貨物保険契約に不確実性や法的問題が生じ、それは今後も進展し続ける。

保険業界は、黒海およびアゾフ海の紛争地帯で、船舶の損傷・紛失、機雷、ロケット攻撃、爆弾による損害賠償請求を受ける可能性が高い。保険会社はまた、ウクライナの港湾および沿岸海域において、ロシアによる封鎖によって封鎖または閉じ込められた船舶および貨物から、海上戦争保険契約に基づく請求に直面する可能性がある。

紛争に巻き込まれた船舶からの船体・貨物保険といった非戦争請求への可能性は、さらに不確実性が増している。海上保険契約は、一般的には、戦争または敵対行為(例えば、機雷による損害または船舶への攻撃)によって引き起こされる船舶の押収または物理的損害を除外する。しかし、ほとんどの賢明な船主は、このような損失のために、限定された期間、つまり典型的には7日間をカバーする追加の戦争保険を契約するであろう。非戦争関連損害あるいは機械故障の補償は、保険会社が被災船舶の船体および貨物保険を解約できない場合でも引き受けることができる。

法的・風評上のリスクを考慮して、保険会社を含む多くの企業がロシアとの貿易から撤退した。しかしながら、保険会社は、更新まで有効な契約を順守することが求められる。そうは言っても、保険会社が制裁の対象となる保険金を支払うことができず、また、制裁条項や戦争条項によって一定の保険金請求を否定しなければならないために、支払いの見通しは一層不明確になる。

黒海に閉じ込められ、閉塞された海上輸送は、特に問題である.たとえ紛争地域から安全な通行が確保されていても、船舶は海上の安全な回廊を利用し、機雷の危険を冒す自信がないかもしれない。しかし、より大きな船舶が拿捕されると、メンテナンスや乗組員の福利厚生が維持されにくくなる。乗組員の中には、安全保障上の懸念から、ウクライナで船舶業務を放棄した者もいると報告されている。拿捕された船舶あるいは制裁の影響を受けた船舶は、火災、衝突や座礁によって、機械の故障や損傷を受けることがある。保管中・輸送中の貨物は、紛争や船舶の入港拿捕によって破損したり、廃棄されたりする場合がある。

戦争に直接関係しない船舶および貨物保険契約の下で発生する請求は、複雑な法的問題および契約の解釈を含む、解決が困難な場合がある。例えば、制裁は保険金請求の一部を禁止することができるが、すべてをカバーするわけではない。拿捕された船舶を含む保険金請求は、状況に応じて、船殻保険または戦争保険に該当する可能性がある。

また、紛争の影響を受けた船舶の更新は複雑になる可能性がある。例えば、拿捕された船舶は、補償範囲を維持するために、戦争保険会社に対して追加保険料を支払い続ける必要があるかもしれない。これは、紛争が長期化すると、高価になる可能性がある。拿捕された船舶は、補償範囲を維持するために船体保険を更新する必要があるかもしれない。

サプライチェーンの課題

荷主とその顧客の双方にとって、ウクライナにおける戦争は、サプライチェーンの至る所ですでにかなりの緊張をもたらしている。中国における新型コロナの流行と同時に起こったことから、この戦争は、海運に対する継続的な需給圧力を悪化させ、それが港湾の渋滞、運賃の高騰、輸送時間の延長をもたらしている。

ロシアとウクライナはいずれも穀物の主要な供給国であり、これらの国からの穀物輸出の多くは停止されているか、または周辺地域に振り向けられている。サプライチェーンの動きを止めようと、ルーマニアやブルガリアなどの近隣諸国は、ウクライナ製品への依存度の高い国々に提供することについて公約を発表している。

国際通貨基金(IMF)は、ウクライナでの戦争は今年すでに高額になっている輸送コストを悪化させ、インフレの影響を長引かせる可能性があると警告している。2020年3月以降の18カ月間で、世界の海上貿易ルートでコンテナを輸送するコストは7倍に増加したが、バルク商品の輸送コストはさらに上昇した。一方、大手航空会社の貨物流通は、通常の50日から60日に上昇している。これは、コンテナが「出荷中」である割合が、2019年に比べて20%増加したことを意味する。他方、2022年4月末から5月初旬にかけて、世界の9,000隻のコンテナ船の20%が港外で渋滞状態にあることを意味する。さらに、船舶から荷揚げされたコンテナがドックに停泊する平均時間は、パンデミック以前の平均2日間に比べて7日間以上に増加している。

インフレはまた、サプライチェーンのリスクを悪化させている。数年前、中国から米国へコンテナ1個を輸送する費用は2,000〜4,000ドルであった。現在、1コンテナ当たり10,000〜15,000ドルとなっており、これが全体的にコストを押し上げている。運賃の引き上げやコンテナ船の船腹不足によって、コンテナ輸送にコンテナ以外の船舶を使用することを検討する事業者もいるが、それは安定性、消火能力、貨物の確保に関する安全上の問題を引き起こしている。

最終的には、ウクライナにおける戦争は、企業にグローバル・サプライチェーンのあり方の再検討を余儀なくさせている、一連のショックの中で最新のものである。多くの企業は、従来の「スリム、ローコスト、ジャスト・イン・タイム」戦略を再考し、出荷や生産の混乱を最小限に抑えるために、複数の場所から財を調達しようとしている。企業はサプライチェーンを強化する必要があり、リスク専門家は、自らの組織がさまざまな破壊的ないしはショッキングな事件に対して組織の回復力を向上させるように助力することに注力すべきである。

船員不足の懸念

船員はいかなる紛争においても、常に付随的損害を被る危険にさらされてきたが、残念なことに、ウクライナ危機も変わらない。また、この侵略は、パンデミックの2年後にすでに不足が予測されていた世界の海上労働力にも影響を及ぼしている。ウクライナの港では、ロシアがウクライナに対する攻撃を開始した際、約2,000人の船員が船舶に閉じ込められたとされていた。拿捕された乗組員は食糧や医療物資へのアクセスがほとんどなく、絶えず攻撃の脅威にさらされている。悲劇的なことに、多数の乗組員がすでに攻撃で死亡している。

世界の189万人の船員のかなりの割合は、ロシアとウクライナからのものである。国際海運会議(ICS)によれば、ロシアの船員は全海運労働力の10%強を占め、さらに4%はウクライナからの船員である。ロシアへの直行便が多く停止し、ロシアおよびウクライナの港に寄港する船舶が減少していることから、これらの国の船員は、現在の契約の終了時に帰国することが困難になる可能性がある。

船員の流れを確実に維持するためには、定期的な乗組員の交代が世界中で必要とされている。昨年、ICSと海運業界団体のBIMCOは、訓練や採用のレベルを上げるための措置を講じなければ、5年以内に船員が「深刻な不足」に陥る可能性があると警告した。

制裁の進展はコンプライアンス上の負担を増加させる

欧米諸国は、ウクライナ侵攻以降、ロシアの企業、銀行、個人に対して一連の制裁措置を導入している。程度の差はあるものの、米国、欧州連合、オーストラリアはロシアの石油、ガス、石炭の輸入を禁止し、EUはロシアの鉄鋼、石炭、セメント、木材、高級品にも制裁を課している。

評判リスクとさらなる制裁の脅威によって、多くの企業や船舶グループは、ロシアとの貿易に対する意欲を見直すようになった。しかし、自動車、エレクトロニクス、農業などの多くの産業におけるサプライチェーンは、ウクライナやロシアからの原材料や部品に依存しており、一部の制裁体制では特定の製品が免除されている。さらなる複雑さと潜在的なコストを加えて、多くの企業は、ロシア企業と解約できない契約を結んでいる。

制裁に違反すると、厳しい執行措置がとられる可能性があるが、遵守は複雑で、しかも進展している。船舶、貨物あるいは相手方の最終的な所有者を確定することは困難である。また、制裁は銀行、保険、海上支援サービスを含む輸送サプライチェーンの様々な部分にも適用され、コンプライアンスをさらに複雑にしている。例えば、英国や欧州連合は、保険会社や再保険会社がロシアの航空産業や宇宙産業と契約することを禁止した。

戦争の暴力、不確実性、混乱の中で可能な限り上手に業務を遂行するには、企業は多くの困難な意思決定を見込んでおかなければならない。海運業界のリスク専門家は、また、この業界に依存している多くの企業と同様に、紛争がもたらすリスクについての考え方を、予測可能な将来のサプライチェーン全体に広げるべきである。

トピックス
事業中断、コンプライアンス、危機管理、保険、国際、評判リスク、サプライチェーン


注意事項:本翻訳は“Ukraine War Strains Shipping and Supply Chain, Risk Management, , July-August, pp.4-7RIMS日本支部が翻訳したものです。原文と和訳に相違があるときには、原文を優先します。本文中は敬称略です。

ラハル・カナ船長はアライアンツ・グローバル・コーポレート・アンド・スペシャリティ社海洋リスク・コンサルティングのグローバルヘッド。