リスク管理プロセスに「追跡」を組み込む方法(2026年7-8月号)
ジョン・マクニール博士、ドミニク・ダケット博士(訳:鈴木英夫)[*]

「4T」のリスク管理プロセスは不十分
最も効果的なビジネス上の意思決定は、迅速な行動よりも、意図的な抑制から生まれることが多い。例えば、リスク管理担当者は、状況が依然として不確実な場合でも、「正常に戻る」ために断固とした行動を取るよう圧力を受けることが多い。しかし、最も賢明な対応は、状況がより明確になるまで積極的に監視することである。
「許容=Tolerance」「低減=Treat」「移転=Transfer」「回避=Terminate」の4Tモデルは、リスク対応の中心的なフレームワークとして、ISO 31000やCOSO ERMなどの規格にも採用されているが、組織の実際の活動を完全に反映しているとは言えない。組織は、リスク許容度だけでなく、どの程度の不確実性に対応できるかも理解する必要がある。この点において、4Tモデルには欠けている要素があるのだ。それは、リスクを綿密に監視しながら意図的に待機する、つまり「追跡=Tracking」である。このユニークな戦略的対応は、5番目のTと考えることができる。リスク管理プロセスに「追跡」を組み込むことで、組織はあらゆる状況において可能な限り効果的な意思決定を行うことができるようになる。
なぜ「追跡」が重要なのか?
一見すると、4Tモデルに新たなカテゴリーを追加する必要はないように思えるかもしれない。監視は既にリスク管理の重要な要素である。リスク担当者は、リスク登録リストを更新し、管理策を見直し、リスクを再評価するが、これらは通常、別の対応策と併せて行われる。リスクを低減、移転、または許容した後、監視を行い、対応策が適切であることを確認するのである。
しかし、「追跡=Tracking」はそれとは異なる。状況が不確実すぎる、情報が限られている、あるいはタイミングが最適ではないといった理由で、あえて行動を起こさないという選択なのだ。状況が変化するまでの間、柔軟性を維持するための暫定的な戦略と言える。
環境の多くは急速に変化し、情報は徐々にしか出てこないことが多いため、リスク対応の一環として「追跡」を体系化することが重要である。時期尚早な行動は、より良い選択肢を閉ざしたり、リスクを他の場所に転嫁したりする可能性がある。このような場合、待つことは受動的な行為ではなく、特に情報が不完全な状況においては、規律と責任を伴う行為なのである。
リスク対応プロセスに追跡を組み込むための実践的な出発点は、現在のリスク登録リストを見直し、即時の対応が正当化しにくいリスクを特定することから始まる。これらは通常、複数の結果が考えられる、あるいは外部の意思決定に依存する、不確実性の高いリスクである。明確な理由もなく対応を繰り返し延期していることに気づいたら、それはリスクを無期限に延期するのではなく、むしろ、体系的な「追跡」が必要であることを示しているかもしれない。
最も活用されていない「T」
「追跡=Tracking」が十分に活用されていない理由を理解するに、2つの関連する課題を考えてみよう。1つ目は、早期の意思決定を促す「行動バイアス」、2つ目は、事態が展開した後に抑制的な行動を罰する「後知恵バイアス」*)である。
*)訳者注:後知恵バイアス(Hindsight Bias)とは、「結果を知った後に『最初からその結末は予測可能だった』と思い込んでしまう心理傾向」のこと。例えば、事前には存在した「不確実性」や「過剰介入のリスク」を完全に無視し、当時の「慎重な静観」を「無能・怠慢」として処罰してしまうことが起きうる。この後知恵バイアス故に事前に過大な対応をとってしまうことが起きる。
行動バイアス問題: 目に見える行動を重視する組織では、「様子見」を推奨するのは難しい。リスクマネージャーは、何らかの行動を起こしていることを示すようプレッシャーを感じ、それが優先順位の歪み、リソースの無駄な消費、そして誤った進捗状況の認識につながる可能性があるのだ。
行動が判断よりも重視されることが多いため、(リスク)担当者は、たとえそれが最も賢明な選択肢だと確信していても、「戦略的に待つことを提案する」ことをためらう場合がある。「優柔不断あるいは積極性に欠ける」と見なされることを恐れる人も多い。しかし、意思決定には、「前進すること」と「適切な行動をとるために必要な情報を収集すること」とのトレードオフが伴うことが多い。「追跡」は、この規律ある一時停止を、専門家の判断に基づき、明確なエスカレーション条件によって裏付けられた、不確実性に対する意識的かつ時間的制約のある対応として捉え直すことで、正当な価値が与えられる。
後知恵バイアスの問題: あらゆる追跡調査の決定は、いずれ後知恵バイアスに直面する可能性がある。後から批判されることを恐れるあまり、たとえ最適とは言えない結果であっても、未熟な判断を下してしまう傾向がある。逆に、時間をかけた追跡調査は、その時点での妥当性に関わらず、批判の対象となる。結果として、結果が明らかになった後、批判者は「最初から分かっていた」と主張するのだ。
この傾向に最善の対策を講じるためには、担当者は、決定を下した時点での判断根拠、つまり何が分かっていたか、何が不明確だったか、そしてどのようなきっかけで行動を起こすかを記録しておくべきである。同様に重要なのは、自分自身が後知恵バイアスに陥らないようにすることだ。過去の決定への評価は、後になって起こった出来事からではなく、その時点で入手可能な情報に基づいて判断すべきである。最適とは言えない結果をもたらしたとしても、適切に構成された追跡調査の対応は、当てずっぽうや早すぎる行動よりも、リスク管理として優れている場合がある。
実際の「追跡」はどのような姿を見せるのか?
「追跡」は既に非公式に行われており、能動的なものと受動的なものの両方がある。この違いを理解することで、既存の4T(許容・低減・移転・回避)との違いを明確にすることができる。
ペナルティキックを受けるゴールキーパーを例に考えてみよう。(統計上)ペナルティキックの際に動かないゴールキーパーは、ジャンプするゴールキーパーよりも成功率が高いことが分かっている。これは、即座に動くことを期待する観客にとっては直感に反するように見えるかもしれない。統計分析に基づいて事前に静止することを決めるゴールキーパーは、既存の4Tにおける典型的な「許容」アプローチに見えるかもしれない。
「追跡」方式は異なる。ゴールキーパーは、事前に特定の戦略に固執するのではなく、ペナルティキッカーのアプローチ、ボディランゲージ、助走角度、腰の位置などを積極的に監視しながら、最終決定を遅らせるのだ。これにより、最大限の情報が得られるまで、複数の対応オプションを維持できる。重要な違いは、タイミングと意図である。「許容」とは、他の対処法が適切でないためにリスクそのものを受け入れることを意味するが、「追跡」アプローチでは、状況が変化し続ける間、あらゆる対処法を残し、意図的に選択を(最後のタイミングまで)延期するのである。
2012年の連邦準備制度理事会(FRB)の審議は、「積極的な追跡」の模範例と言える。景気後退の傷が癒える中、FRB議長のベン・バーナンキは激しいプレッシャーに直面した。リッチモンド連銀総裁のジェフリー・ラッカーのようなタカ派は、量的緩和の継続によるインフレリスクを警告した。経済学者のポール・クルーグマンのような外部の声は忍耐を促し、金融メディアはFRBが後手に回っていると警告した。FRBは、為替市場におけるストップロス注文*1)のように、あらかじめ設定された閾値を設定し、それが突破されるのをただ待つのではなく、積極的な「追跡」策を採用した。彼らは、インフレ率と雇用を固定目標と比較して監視するだけでなく、危機後の経済における「完全雇用」の意味を継続的に再調整し、世界情勢の変化に応じてインフレリスクの評価を調整し、市場が量的緩和の各段階を消化するにつれてコミュニケーション戦略を進化させた。労働力参加率*2)が予想外に低下した際には、従来の指標が依然として経済の余剰を捉えているかどうかを再検討した。リスクと対応の閾値の両方を継続的に再評価するなど、こうした積極的な「追跡」を行うことで、受動的なトリガーでは不可能だった期間、適切な政策を維持することができた。
*1)訳者注:ストップロス注文(Stop-Loss Order)とは、外国為替(FX)や株式などの取引において、「相場が投資家にとって不利な方向に動き、損失が一定の額(または価格)に達したときに、自動で反対売買を行って決済する」というリスク管理用の注文方法。
*2)訳者注:労働力参加率(Labor Force Participation Rate)とは、15歳以上の生産年齢人口のうち、働く意欲を持った人(就業者 + 完全失業者)が占める割合を表す経済指標。失業率が下がった際、「本当に雇用環境が改善したのか」それとも「就労を諦めて非労働力人口に流れただけ(労働力参加率の低下)」なのかを判断するために、両者を組み合わせて分析する際に注目される。
「追跡」は、相互依存的なリスクに対して特に有効である。現代のリスクは、部門、サプライチェーン、管轄区域をまたがることが多く、ある分野で性急な対応を取ると、他の分野で予期せぬ結果を招くことにもなりかねない。追跡によって、意思決定が確定する前に、調整と幅広い協議のための時間も確保できる。複雑なリスクの多くは、受動的な指標と能動的な状況監視を組み合わせることで効果を発揮するのだ。
「追跡」アプローチ導入のための4ステッププロセス
「追跡」を実際に5番目のTとして機能させるには、体系的なプロセスが必要である。「監視を続ける」だけでは不十分なのだ。責任ある追跡プロセスには、以下の4つの重要なステップが含まれる:
1)「追跡」が適切なタイミングを見極めよ
追跡が適切な対応策となる状況を見極めるには、乱高下が支配的である状況、情報が不完全な状況、あるいは時期尚早な行動によって組織が最適とは言えない道筋に縛られてしまう可能性がある状況を見極めることが必要だ。このような場合、今日何もしないことで、明日「より効果的に行動するための自由度を保つ」ことができる。例えば、政権交代期には、状況が流動的な中で規制枠組みにコミットするとコストのかかるミスにつながるため、製造業者は業務変更を延期することを選択する場合などがこれに当たる。
2)「追跡」対象と方法を明確にせよ
「追跡」を行うことを決定したら、まず何をモニタリングするかを明確に定義する。最も重要な変数、信頼できるデータの情報源、そしてレビューの頻度を特定する。例えば、サプライチェーンの不確実性に直面している消費財企業は、政策発表、物流コストの変化、競合他社の調整などを追跡するだろう。これにより、漠然とした監視から体系的な観察へと移行できるのだ。
3)レビューのタイムラインを設定せよ
次に、逸脱を防ぐため、明確なタイムラインとトリガーを設定することを検討せよ。「追跡」は暫定的なものにとどめる必要がある。効果的なトリガーとしては、数値的な閾値、競合他社の行動、または特定の規制上のマイルストーンなどが考えられる。例えば、価格が15%変動した場合、主要な競合他社2社が新しい基準を採用した場合、または行政措置が10%増加した場合などが挙げられる。
4)根拠とエスカレーション条件を伝えよ
最後に、根拠を伝えよう。関係者は、「追跡」が選択された理由、どのような条件で変更が必要になるか、そしてどのように更新情報が提供されるかを理解するべきである。最初のメッセージでは、主要な不確実性が解消されるまで、「追跡」によって柔軟性が維持されることを説明すると良い。その後の更新情報では、トリガーが満たされたかどうか、そして次回のレビューがいつ行われるかを確認できる。エスカレーションが必要な場合は、明確かつ断固としたコミュニケーションを行う必要がある。
どのようにしたら「追跡」における規律を確保できるか
「追跡」を単なる都合の良い現状維持ではなく、規律ある戦略として機能させるためには、以下の習慣が不可欠である:
追跡対象のリスクを定期的に見直せ。リスクを放置して漂流させるのではなく、定期的なレビューを実施し、新たな情報が得られ次第、トリガーと閾値を調整すること。追跡は常にアクティブである必要があり、設定したら放置するような状態に陥ってはならない。
根拠を明確に伝えよ。 リスク管理担当者は、なぜ「追跡」が選ばれたのか、どのような変数が監視されているのか、そしてどの指標が対応策の変更を促すのかを理解する必要がある。明確な説明をすることにより、関係者はあなたが優柔不断ではなく、慎重な姿勢で行動していることを理解する。
完璧な情報を待つのは避けよ。 どれほど綿密な調査を行っても、多くのリスクには不確実性がつきまとうものである。不確実性を低減できない場合、「追跡」は無期限の遅延を正当化するものではない。
「追跡」は、回避するのではなく、厳密に取り組むべきものだ。追跡は、厄介な問題を棚上げしたり、行動が政治的に不都合だからといって意思決定を先延ばしにしたりする手段であってはならない。追跡されたリスクについても、引き続き関与、文書化、そして定期的な再評価が必要である。
リスク管理の担当者は、助言、介入、そして行動を起こすことが期待されることが多いが、時には即座に行動しない方が良い場合もある。「追跡」の価値は、タイミングがリスク管理における中核的な能力であるという考え方にある。「追跡」の有用性は、不確実性が低下すると予想される場合、状況がまだ形成途上にある場合、そして時期尚早な行動によってより良い選択肢が閉ざされてしまう場合には最も高いのだ。
次にリスクが浮上し、迅速な対応を迫られた時は、次の点を自問してみよ:
- このリスクは、重要な不確実性が時間的制約を受けており、解決の見込みが高いのか?
- 待つことをためらうのは、不確実性に基づいているのか、それとも消極的に見られることを恐れているからなのか?
- 私たちは、それが正しい決断だから行動しているのか、それとも目に見えるから行動しているのか?
- 一歩引くことで、組織にとってより効果的な結果をもたらす可能性はないのだろうか?
4Tフレームワークに「追跡」を取り入れることは、スピードを落とすことではなく、先を見据えた思考を促すことである。これは、待つことで情報の質が向上したり、より明確な道筋が見えたりする場合に有効であり、リスク担当者が立ち止まり、観察し、選択肢を温存することを可能にする。リスクが急速に変化する世界において、「追跡」は、組織が緊急性ではなく明確さに基づいて意思決定を行うのに役立つのだ。
トピック
企業リスクマネジメント、リスクアセスメント、リスクマネジメント、戦略的リスクマネジメント
注意事項:この記事は、” THow to Incorporate Tracking into Risk Management Processes,” Dr. Jon McNeill , Dr. Dominic Duckett | July 30, 2026, RIMS Risk Management Site: (https://www.rmmagazine.com/articles/article/2026/07/30/how-to-incorporate-tracking-into-risk-management-processes) をRIMS日本支部が翻訳したものであり、原文と訳文に差異がある場合には原文を優先します。
ジョン・マクニール博士は、グラスゴー・カレドニアン大学グラスゴー・ビジネス・アンド・ソサエティ学部財務・会計・リスク学科のリスクマネジメント・プログラムリーダー兼講師。
ドミニク・ダケット博士は、グラスゴー・カレドニアン大学グラスゴー・ビジネス・アンド・ソサエティ学部財務・会計・リスク学科のリスクマネジメント講師。
鈴木英夫はRIMS日本支部主席研究員。